はじめに:組み込み開発の危機とローコードへの期待

自動車、家電、産業機械など、私たちの生活を支える製品のほとんどに組み込みシステムが搭載されています。これらのシステムのソフトウェアは、高度なリアルタイム処理、省電力性、極限の信頼性が求められ、開発にはC/C++などの言語による高度な専門知識が不可欠でした。
しかし、IoT化の進展により、組み込みソフトウェアの規模と複雑性は爆発的に増大しています。一方で、この分野の専門的な技術者不足は深刻化しており、従来の開発手法のままでは、変化のスピードに対応することが困難になりつつあります。
ここで注目されているのが、ローコード開発です。アプリケーション開発の世界で革命を起こしたこの手法は、組み込みシステムという難易度の高い領域に、どのような可能性をもたらすのでしょうか。
組み込み開発におけるローコードの役割とメリット
ローコード開発とは、グラフィカルなインターフェースや既製のモジュール(部品)を組み合わせてアプリケーションを開発する手法です。組み込み開発に適用することで、以下のメリットが期待されます。
メリット | 組み込み開発への貢献 |
生産性の向上 | 定型的なコード記述やデバイスドライバとの連携部分を自動化し、開発工数を大幅に短縮します。 |
専門知識の敷居を下げる | ハードウェアの専門知識が少なくても、アプリケーションロジックの開発に集中できる環境を提供します。 |
品質と信頼性の確保 | あらかじめ動作が保証されたモジュールやフレームワークを利用することで、ヒューマンエラーを減らし、品質を標準化できます。 |
アジャイルな開発 | 試作と改善のサイクルを高速化し、市場や顧客の要求に素早く対応する製品開発が可能になります。 |
特に、IoT機器のファームウェアや、クラウドとの連携ロジック、**ユーザーインターフェース(HMI)**といった、ビジネスロジックに近い部分でローコードの適用が進んでいます。
ローコードが組み込み開発で活躍するユースケース

ローコードプラットフォームは、組み込みシステム全体を一から作り上げるのではなく、特定の層や機能の開発を効率化するために利用されます。
デバイスとクラウドの連携ロジック
デバイスで収集したデータをクラウドへ送信する際のプロトコル(MQTTなど)変換や、認証処理をモジュールで実装。
産業用機器のHMI(ヒューマン・マシン・インターフェース)
タッチパネルなどの操作画面を、コーディングなしで直感的にデザインし、機器の制御ロジックと連携させます。
プロトタイピング(MVP開発)
新製品のコア機能の動作検証や顧客へのフィードバックを得るための最小限の機能を持つ製品(MVP)を、超短期間で作成します。
【事例の方向性】
製造業におけるデジタル計測システムでは、従来紙に手入力していたデータを、ローコードツールを活用して計測時に自動保存し、エラーがあれば次の工程に進めない制御を組み込むといった活用が進んでいます。
組み込みローコード開発が抱える課題と注意点
ローコードは万能ではありません。組み込み開発特有の制約により、いくつかの課題が存在します。
📌 課題1:パフォーマンスとリソースの制約
- リアルタイム性: 厳密なリアルタイム性が求められるコアな制御(例:エンジン制御など)は、依然として低レイヤーのプロコード(C言語など)が必要です。ローコードによる抽象化が、実行速度や応答時間に影響を与える可能性があります。
- メモリ、消費電力: ローコードプラットフォームは汎用性が高いため、生成されるコードが肥大化しやすく、メモリや電力リソースが限られた小型デバイスには不向きな場合があります。
📌 課題2:ベンダーロックインと拡張性の限界
利用するローコードツールに依存した開発になるため、ツールの提供が終了したり、将来的に必要な特定の機能拡張ができない場合に、システム全体の見直しが必要になるリスクがあります。
📌 課題3:セキュリティの複雑性
組み込みシステムは物理的なセキュリティとネットワークセキュリティの両方が求められます。ローコードプラットフォームが提供するセキュリティ機能が、要求される堅牢性に満たない場合、セキュリティリスクが高まる可能性があります。
まとめ:ローコードは「専門家を解放する」ツール
組み込み分野におけるローコード開発は、従来の開発を完全に置き換えるものではありません。むしろ、**「専門家を解放し、真に価値を生む仕事に集中させる」**ためのツールとして機能します。
高度な専門知識を持つ技術者は、ローコードで自動化できないコアな制御ロジックや、性能最適化に注力し、その他の周辺機能はローコードで迅速に構築するハイブリッド開発が、次世代の組み込みシステム開発の主流となるでしょう。